La Manchaより愛を込めて

Esencia Rural

「ラ・マンチャのワインが安いのにはそれなりの理由がある」と言った人がいる。言いたいことはおおよそ見当がつくが、それでもどこか見下したような物言いに聞こえ嫌悪感を覚えるのは、私の心が至らぬせいだろうか。とにかくフリアンを見ていると、どうしてもその言葉が納得できないのだ。フリアン・ルイス・ヴィリャヌエヴァ、スペインのラ・マンチャ地方にあるエセンシア・ルラルの当主、仕事をする、いや、し続ける人。

初めて彼のボデーガを訪れたのは2015年、私たちの本、ヴォヤージュ・アン・アンフォールの取材のためだった。古びた扉を開け中に入ると、目の前の

中庭に大きなティナハが置かれていた。撮影を頼むと、「自分は写真写りが悪いから」と、渋られた。でもいざ撮ってみるとこの通り、本人もお気に入りの一枚ができた。

Julián Ruiz Villanueva

数ヶ月後、再び訪れると、今度はティナハが立っていた。そして畑にも埋められ、そこでフリアンがワインを造っていた!オーレ!オーレ!オーレ!

常に長期スキン・コンタクト

ここエセンシア・ルラルでは、長期スキン・コンタクトを醸造の基本方針としている。この長期浸漬により多くのタンニンを得るわけだが、タンニンの割合が多くなり過ぎないように除茎する。その際、畑では地中に埋めたティナハの上に網目を置いて手で擦りながら除茎を行うため、蔵で機械で行うように茎を100%除去するのは難しいが、影響を与えるほどの量ではない。

除茎後、発酵状況に合わせ攪拌、5〜9ヶ月(蔵よりもちょっと短め)のスキン・コンタクトする。この間ティナハにはビニールをかけ、ゴムバンドで止め土を盛るだけで、所謂密封はしない。

明け方、畑のティナハで

「スキン・コンタクトと酸化熟成を実践していると、よく『何のために?』とか『問題が起こるのでは』と言う人がいる。確かに彼らに一部、いやもしかしたら全て理があるかもしれない。」

「でも面白いんだ。浸漬で葡萄の構造が壊われ、酵母が糖分に触れ発酵が始まり、微生物の環境が整い、果皮の色素やタンニン、香り成分などが果汁に溶け出し、独特の味わいや風味になっていく。そんな工程全てが興味深い。」もっとも実際には、揮発酸がうんと高くなるとか、突然何か起こる危険性も孕んでいて、絶大な効果をもたらす「正」の力と、望まない方向に導く「負」の力との間での格闘になる。

「うちのワインは、野菜成分が凄く面白いと思う。これも全てスキン・コンタクトのお陰だし、うちと他のボデーガの違いはそこだけ。まぁ、みんな長期浸漬の話をするようになったけど、彼らのは販売戦略的なものばかり。本当のスキン・コンタクトや酸化熟成はそんなものじゃない。」

アイレン、フラン・ドゥ・ピエ

このティナハが埋められているのは、この地方の白品種アイレンの畑。1910年台に植樹されたもので、フラン・ドゥ・ピエ、つまり接木されていない自根の株が多々ある。おまけに畑は如何なる介入もされておらず、硫黄も一滴すら入っていない。自然派ワインは、この葡萄を守ることから始まる。そして、こうやって穫れた葡萄をその場でティナハに漬け込む。これ以上の自然派の極意があるだろうか。

技術や知識の残留物が蔓延る自然派

「無介入に対して忠実なら、自然なワインとは亜硫酸無添加ワインのことではなく、別のものさ。うちの醸造法は常に超長期の浸漬で、さらに閉めずに常に空気にさらしている。それにより凄く急進的なワインとなる。誰にでも好んでもらえるものだと思う。とにかく、俗に自然派と呼ばれる世界にも、未だ多くの技術や技術的知識の残留物が沢山あると思うんだ。亜硫酸無使用でも他の何かを使わずとも、進化もせず酸化もしないよう、常に閉じた環境での醸造実践を放棄せずにいる。これが、うちのワインより優れたワインでも特有な表現に欠けている最大の理由だと思う。

「自然なワインは常に変化している。素晴らしい未来があると思う。それは50年間自然派ワインを実践している人たちにではない。まだ自然派に目覚めない人たちにとってさ。たとえば大きなボデーガが真面目に取り組めば、未だに知らない彼らの葡萄の多くの興味深い点を見出すだろう。醸造学的に仲介しないのはどのボデーガにとっても面白いことさ。」

ちなみに、畑に埋められたティナハではアイレンの他に、赤品種のガルナチャも同様の長期浸漬(6〜9ヶ月)で醸造されている。この葡萄もまた1910年台に植樹されたものだ。

違って当たり前、子供たちのようなもの

「うちのワインがとても急進的で独自のものなので、たぶんこう言った側面から、期待をする人がするんだよね。ある年のワインに惚れ込んで、次の年も同じものが欲しいと。でも実際には「同じものじゃない」と言う。当たり前じゃん。同じものなど決してないさ。何故って、それは哲学のようなもので、例えば子供が一人いてその子が大好きでも、次にまた子供ができたらその子も同じように大好きだろう。二人とも違うけど、二人とも大好きさ。ワインだって同じ。でもそれを分からない人がいる。」

ワインは第一の必需品

「そもそも今のワインの在り方は、本来のものとは違う。昔はここラ・マンチャだけでなくリオハにももっと畑があり、ワインをヨーロッパに運ぶために鉄道が敷かれた。ワインは、第一の必需品だったからね。今のような試飲するとかではなく、まず第一に必要なものだったんだ。ワインは水よりも健全だったから。水は衛生問題があるだろう。ワインにはそんなことがなかった。ワイン衛生管理登録など意味がない。ワインは自衛していて、それが全てさ。」

そんな彼と、2018年から一緒にWAWを造り始める。

WAW=伝統のワイン

「うちで造るWAWは、ラ・マンチャの伝統的な醸造と同じなんだ。昔からヴァルデペーニャで作られているものさ。70%が白のアイレン、30%が赤でうちの21年に関してはヴェラスコ。5~6ヶ月のスキン・コンタクト後の熟成中。まだ若すぎて、もうちょっと落ち着かないと駄目だけど、この味って、昔、みんながワインに求めていたもの。ちょっと飲みやすい赤の様だろう。赤の果実香が一杯で、白の飲み易さがあり、食べ物としての骨組みがしっかりしていて、美味しいよ。そんなワインをみんなが求めていたんだ。硬っ苦しいワインじゃなく、いつでも付き合える様なものをね。」

本当に良い人、良き仲間、最高の友達。大好き!

フリアン、仕事を「し」続ける人

最後に、私たちが見る限り、フリアンの仕事の手が休まることはない。そんな彼が造るワインに対し、「ラ・マンチャのワインには安いだけの理由がある」と言うのはどうだろうか。土地、気候に恵まれ、苦労をせずにワインを造れるから、と言いたいのだろうか。私たちとしてはむしろ、他所でワイン造りに苦労している人がいるとして、それ故に高く出すのが当たり前と思っているのなら、そんな人にはワイン造りを止めてもらって結構だ。フリアンのワインがあればそれで十分なのだから。それにしても、ただ単に安いからと輸入、結婚式等、不特定多数の人が集まる場向けのワインとして、飲まれるかどうかも定かでないところに卸してしまうようなやり方は、心ある造り手を踏み躙る劣悪な行為だと思うのだが、どうだろうか?

黄金の雫、朝7時の朝食


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です