世界三大‥‥

3つマカロン? いや、トリプル・スターだ!

 ニュー・ワイン・フェスティバルの創設者であり元代表の イアゴ・ビタリシュヴィリが、 グルジア東部(首都トビリシ)に限られていた自然派ワインの試飲会を同国西部で始めた、それがアメリメリ(Amerimeri =あちらからこちらから?)だ。名付け親は故ソリコ・ツァイシュヴィリで、クタイシ近郊ツカルトゥボで冬季に開催される。その2022年のサロンで、グルジアでの生活を満悦する一人の日本の若人が、意気揚々と語りかけてきた。

「イアゴは、マイルス・デイビスとマイケル・ジョーダンに並ぶ、世界の3大スター!」

 はぁ?意味不明、一体何を言っているのか?謎々。伝説のミュージシャンに神係のスポーツマン、そしてグルジアのワイン生産者、この3人の共通点?すると間髪入れずに、高調した若人君が正解を明かしてくれた。

「3人とも、世界で最も、本能的で、魅力ある、壮麗なシルエットの持ち主ですよ!」

 おっと!一瞬唖然、でも言われてみればその通り。粋なことを言うね、若人君。いやいや、ありがとう!「?」確かに、イアゴのラベルは目立ち、今じゃ世に知れ渡っている。二人の横に並べても可笑しくないし、様になる。いいじゃん、いいじゃん。でもね、この息も止まる一瞬の美を誰が不滅のものにしたか‥。知ってる、若人君?それは「MAIKA」。そう、私。「え~っ!」若人君絶叫。ハハハ!イアゴ自身が誇る「己の人生を見事に変えてた象徴的なイメージ」を他に誰が撮れる?

 しかし、あの流麗なイアゴのシルエットがただ空から降ってきたわけではない。過去に、1992年から1997年までトビリシの農業大学で就学中、イアゴは故郷のチャルダヒ村と首都の間を1日18㎞、歩いて通っていた(凄)。この鍛錬こそが彼の肉体を強靭にし、後にあの瞬時の理想的な幾何学的三角美を生み出したのだろう。そして何より成功のための精神的な強さを植え付けることになったのは疑う余地がない。もっとも本人は、

「ある日、大学からの帰り道、いつも通り歩いていると戦車が近づいてきてね、中から兵士たちが『どこに行くだい?』と尋ねてきた。そこで『チャルダッヒの家に帰る途中』と答えると、『そうか、乗れや』と、まるでヒッチハイクのように戦車に乗せてくれた! あの頃は灰色の時代だったけど、夢が沢山あったよ。」

と、笑顔で懐かしそうに語っている。そして、

「歩いている間は、色々と考えられる時間だった。」

と、付け足した。「自分で考える」、とても大事なことだ。今の日本のアルバイト漬けの学生にはちょっと真似できまい。スマホのない最後の美しき時代の恩恵か?いや、スマホを消せばよいだけ。至極簡単なことだ。

クヴェヴリなし、でもBIO

 2011年の私たちとイアゴの出逢いは、幸運な事故のようなものだった。初めてグルジアに赴いた日、予定されていたアワ・ワイン(ソリコ)の収穫が

延期となりトビリシ滞在を余儀なくされた私たち、その時の助け舟がイアゴだった。結局、私たちがグルジアで最初に訪れたマラニ(グルジアの蔵)はイアゴズ・ワイン(後に改名?イアゴ・ワイナリー)。後々、私たちがクヴェヴリを買い長期熟成を試し、赤白混醸を始め、最終的にWAWを造るなど、様々なことを一緒にやるような緊密な関係(因みに一緒に日本へも行った)は、この時に始まった。

 蔵訪問の日、まずは5日間戦争の傷痕を見せられ(これも予定外でショック)、次に畑を一回り、それから訪れたマラニは、小さく、しかし整然と地中に配置された古くも美しい大小8つ(2+6)のクヴェヴリで構成されていた。そしてその1つから直にワインを試飲。クヴェヴリ・グヴィノを直接カメ壺から味わうという、思ってもいなかった体験が実現した。

 イアゴが手慣れた様子で覆いの土をよけ、河原の平石で作られた蓋を開ける瞬間、マラニに緊張が走る。そして、美しい黄金色の液体が暗い地中から汲み出され、目の前でキラッと輝いた時、思わず「ワァー!」と感嘆と安堵の声をあげた。この感動、樽では決して味わえない。その時の情景を、今でもはっきりと覚えている。そしてこれまた、素晴らしいチヌリだった。

 ただ、ちょっと驚ろくべき事実もあった。それは、学業を終え家を継いだ頃のイアゴは、クヴェヴリを1つも持っていなかったということ。グルジアでは常にクヴェヴリで醸造していると思っていた私たちには、意外なことだった。もっとも、8000年の歴史などと謳っていることの方が、本当は瞞し。まぁ、それはさておき、イアゴがクヴェヴリ・グヴィノ造りを始めるには、ある男の出現が不可欠だった。その男の名はルカ・ガルガノ、ジェノヴァの輸入業者 Velier の頭、イタリアのアルコール業界でカリスマ的な存在であり、Triple A (イタリアの自然派)の創設者でもある。そんな輩がビオディナミの大御所ニコラ・ジョリと共に、新天地開拓でグルジアにやってきたのだった(後に、弟のパオロと共にアワ・ワインの共同経営者となる)。

「2004年にルカが現れた時は、目の前に明るい未来が開けた気がしたんだ。それで彼とクヴェヴリでのワイン造りを約束し、すぐにクヴェヴリを手に入れた。」

 生まれながら広い視野を持ち、故郷のカルトリで初のチヌリのスキン・コンタクト造りを始め、年間2~3000本のボトル生産にも関わらず、自然の大切さを認識し自国で初のコーカスセール有機認証取得者になるような若者にとって、ルカはグルジア・ワインの救世主にも似た存在だった。そのルカとの約束で手に入れたイアゴのクヴェヴリは年代物。実はそれが正解だった。

 2013年になると、イアゴはマラニの拡張始め、クヴェヴリを増やした。そして首都に最も近いワイン生産者としての立地条件を活かし、増加する外国

人観光客を誘致するために、マラニの隣接レストランを開設。そこでワインの試飲のみならずグルジア式おもてなし料理も提供する事業を始めたが、これが見事に大当たり。続いて、敷地内に祖母アネタが得意だった地ビールを生産する区画を設けるなど、全てが順調に運んでいた。そしてイアゴは、大学で学んだ自身の博学多識も功を奏し、グルジアで最もメディアに登場するヴィニェロン・スターとなっていった。

クヴェヴリ、キュヴェフュイ(漏れワイン?)

 ただ、2017年頃からグルジアの繁栄に翳りが生じ出す。ある時イアゴは、生産増量のために新しい大型のクヴェヴリを購入、が、実際には半分以上が使い物にならなかった。驚くなかれ、今一般的にグルジアで言

われていることは、販売されているクヴェヴリのうち使えるものは、10本中なんとたったの4本とか。とんでもないインチキ商法だ。そんな詐欺的なことが許される国など他にあるだろうか。全く人を小馬鹿にした話だ。それになんという無駄…。

 そもそも、クヴェヴリを地中に埋めるのは温度管理のため、などと言う戯言を信じてはいけない。もっともらしい言い訳だが、真実はクヴェヴリの厚さが

薄すぎ、地中に埋め外側から支えて使用しなければ、内容物の重量で生じる内圧により破裂してしまうということ(おまけに今ではより多く作り売るために、焼成前の粘土の乾燥を早める目的でさらに薄くしているようにさえ思える)。しかも薄いだけでなく焼き〆が甘くてきめが荒く、蜜蝋を塗らなければ漏る。ところが埋めずにそれを確認する術がなく、陶工は手間ひまかけずに公然と、「無保証」でクヴェヴリを売っているわけだ。正にグルジア風出鱈目商法。イアゴはクヴェヴリの品質向上のためにドイツ国際協力公社 (Gesellschaft für Technische Zusammenarbeit)と協力、焼成温度を高める(現行7~800度を1300度に)など色々と手を尽くしたが、当の陶工たちは聞く耳持たず。 売り手は金儲け優先、世の中需要過多、結局買い手は足元を見られ、万事急須。

葡萄畑が宅地に変貌

 イアゴの故郷であるチャルダヒ村は、カヘティ(東)とイメレ

ティ(西)の間、国の中心部に位置する主要なワイン生産地の 1 つ、カルトリにある。更に正確に言えば、シダ・カルトリのアラグヴィ峡谷とクサニ峡谷に挟まれた先端にあたる場所だ。

分かり易く言うなら、首都トビリシから高速を西に進み、グルジアの旧都ムツヘタを通り過ぎた後に左手に見えてくる村で、首都から30分ほどの所だ。一方、高速の反対側、つまり右側

には、コーカサス山脈の一部をなすグダマカリ山脈やハルリ山脈まで、畑や牧草地が広がっている。そのカルトリの主要品種はチヌリ、そしてスパークリング用のタクヴェリ(赤)とゴルリ・ムツヴァネ(白)がある。

「かつて、チャルダヒ村は全て葡萄畑だった。小さな頃は学校が秋に2週間休みになり、みんなで葡萄の収穫をしたものだ。ソビエト連邦のコルホーズ(集団農場)時代の話さ。学校嫌いにとっては、楽しい時間だったね。でも1999年と2000年の大干ばつで、全てが壊れた。東西の壁が崩壊した後、灌漑設備がまともに点検維持されておらず、役に立たなかった。そのせいでほぼ全滅。うちは、父が必死に葡萄に水をやり、かろうじて救うことができたけど…。」

 確かに、初めてイアゴを訪ねた2011年当時、道路の左右に枯幹が見え隠れし、葡萄の痕跡がはっきりと残っていた。勿論、土地の大部分は放棄された畑や牧草地だったが、以前の名残があった。しかし11年後の現在、村の脇には農地がなく、目につくのは住宅建設用宅地。土地は転換整地し宅地造成され、家が次々と建てられ、元の景観が損なわれていく。

「ここはトビリシに近い。宅地の方がより高額で売れるので、みな土地を外来の者に売りたがる。当然、土地の価格が大幅に上昇し、我々には手が出せなくなった。葡萄畑を増やすこともできない。すでにある畑で何とかするしかない…。」

地球温暖化は瞞し、が、気候変動はある

「残念だけど、うちのチヌリはもうダメだ。老齢で猛暑に耐えられずボロボロだ。抜根して植え替えるしかない。とにかく最後の夏は、40℃以上の猛暑が4ヶ月間も続いてしまった。収

穫後の発酵も通常と違う。特にスキン・コンタクト無しのワインは、まるで酵母も暑さで死滅したかのように、なかなか発酵しない。難しい年さ。植え替えの方はすでに3年前から始めていて、まずは祖母の家の畑、次に新たに手に入れた畑と、この二箇所は済んでいる。ただ今年植えた苗はダメだった。灌漑のために葡萄畑をさく井掘削し、地下120mに水脈を見つけたんだ。でも、水を吸い上げ若木に散水するには、ポンプとそれを動かす電気が必要だろう。そこで電気会社に送電線の設置を依頼したのだが、通常は3ヶ月で終わるものが、9ヶ月経っても何もできない。その間にチヌリの赤ちゃんが死んでしまった。最初からやり直すしかない。」

On vole? Ou (Où) on vole? 飛ぶ?か盗む?か?

(日本語適訳不可 所謂「端くれ 箸くれ」みたいな‥?)

 そこでイアゴの案内で、新たに増設した灌漑設備を見に行くと、「あれ?」。鉄柵に囲まれた新しく植え付けられた畑に沿って、なんとも場違いな、不釣

り合いなものが目に入る。

「えっ?嘘?監視カメラ?」

 するとイアゴが、

「勿論、ここはスイス銀行と同じさ!常に監視していないと!」

と、笑いこけている。えーっ!何、それ?今の今まで畑に監視カメラなんて、見たことがないよぉ〜。

「いや、こうしておかないと、金属やコンクリートの杭、ワイヤー等、ありとあらゆるものが盗まれてしまうんだ。本当に何でもかんでも、みんなみんな盗まれる!本当に堪らない。一度など、朝ここに来たら、『えっ、嘘。何処?何処に行ったんだ?』なくなっているんだよ、うちの葡萄畑の入り口が!奴ら、鉄の門まで持って行きやがった!それだけじゃない、村への動物侵入防止扉もね!どこか他の村の奴らの仕業だろうけど、ここで盗み、他所で半額で売り捌いているのさ。ああ、Welcome to Georgia!だ」

 まったくもって、グルジアへようこそ!花(現在は塵)の都パリ同様、既得権者が語らぬグルジアの、残念ながら真の顔。ここまで退廃したのか、元々なのか…。

 猫も杓子も、本当に誰もが金のなる木に飛びつく国民性であることは、既に知っていた。当然ワインも同じだ。みんなが(金のなりそうな)葡萄(ワイン)に飛びついてきた。ただ、実際には葡萄の樹に触るようなことはしない。数字で見れば、2015年には自然派慣行派ひっくるめて総数200だった生産者が、2022年には1600人以上に激増している。おまけに、自称自然派を含めその大半が畑仕事もせずに「ヴィニェロン」振るので、質が悪い。そういった曖昧さを敬遠してか、今までトビリシでは一つだった(自称)自然派試飲会が、今年2023年にいきなり4派閥に分裂(これまた超グルジア)、別々の日時と場所で開催されることに(はっきり言って非常に迷惑な話だ!)。その一つがイアゴとラマツ・ニコラーズ(イメレティの自然派)が仕切るシェレキレビ(Sherekilebi=招集された?)。親愛なるイアゴとラマツが始める会だ。お付き合いはする。が、個人的には、今更2004年以降にフランスやイタリアで起きてきた自然派分裂の再現など、全然嬉しくない。そもそも、損得勘定抜きで、本当に自然派のことを考えている人は、一体何人いるんだ?私たちはむしろ分裂したものの統合を願って、また故スタンコ・ラディコンの「毎年仲間内だけの試飲会など意味がない」という思いを継いで、結果、Vinitalyで行われるViViTが実現したと思うのだが‥。

 こんな混沌とした状況の中、2021年が良好だったにも関わらず、イアゴは重大な決断を下したことになる。 古木から造られる彼の有名なチヌリは、スキン・コンタク有り無しに関わらず、2022年で終了。2023年からは、若木が取って代わることになる。原点回帰ではないが、時には若返りが、特に将来の準備のために必要となる。これが現在のイアゴの状況だ。

「灌漑システムは手動でまだ自動化されていないが、準備はできている。だからもう、水不足で新生チヌリが枯れることはない。それだけではなく、クルミの木がある葡萄畑の側に池を作り、ビオトープを復活させたいと思う。全ての自然、花、植物、昆虫を保護し、うちのチヌリが多様性の中で長く生きられるようにするためにね。それまでは、カヘティのマナビにあるマリーナ(妻)の妹が手に入れた葡萄畑のムツヴァネも醸すし。良い葡萄だからね。まぁ、越境しているのは事実だけど、良いワインを造れる。レストランを閉め、観光客の受け入れも止めたんだ。経済的には少しきつくなるけど、ちょっと考え、将来のための準備をする時間が必要だったから。再出発の準備はできているよ。」

 イアゴは英悟。疑う余地なく、このチャイナ・リング(複雑難儀な現状)を輝く(カルティエの)トリニティ・リングに変えるに決まっている。何故って?ご存じですか、チヌリの意味?(思わず舌打ちしたくなるけど)「中国人」!チヌリ・スキン・コンタクト、チヌリ・ノー・スキン・コンタクト、そしてペット・ナット。イアゴの未来を明るく染めるのは三色チヌリだから。ちょっとの間、待ってみようか。素敵なワインが戻ってくるのを!


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