Gelveri superbe

驚きの修正案を提出!

「紀元前1400年頃、ネズミの祖先が葡萄を見つけてね、新石器時代の地層にまで伸びた巣に持ち帰ったんだ。そしてそこで越冬。後には数粒の種が残った。それを3400年後に人が見つけて一方的に言ったんだ、『凄い!8000年前に古代人がここでワインを造ってた!』って。」

 まるで72年前の少年時代のような、まん丸に目を見開いた悪戯っぽい眼差しで、体制派に

に対する爆弾テロ的な驚天動地の理論を、高齢の好紳士が鮮やかに展開、そして笑った。私はどうしたかって?そりゃもう、抱腹絶倒、大爆笑!ギャハハ!鼠の仕業って!そうだそうだ、冗談じゃねぇぜ。醸造後には無数の種が残るんだい。それがたった数粒の葡萄の種の発見でワインだって?ふざけるない!滅茶苦茶な話だ!米権力の衣を着た、とんでもない歴史の改竄だ。

 元気なお爺ちゃま(親愛の情を込めこう呼ばせて)、次は赤いワインらしきものが入ったグラスを差し出し、

「飲んでごらん。」

 勧められたものを一口飲むと

「どう思う?もっと飲みたいかい?」

と、矢継ぎ早に尋ねてくる。何か悪巧みをしてるの? これ、ワインだろうけど、苦いな。それに渋いし‥。もっと欲しいかどうかと言われても、飲めるけど、う〜ん、もういらないや‥。

「分かるかい?これは野生葡萄で造ったワインさ。ボトル一本を満たすのに8㎏ほどの葡萄が必要だった。それにほぼ丸1日の労力がね。なにしろ、葡萄を支える木々の天っぺまで登って、房を収穫しなければならなかったから。」

と、お爺ちゃま。そして続けて尋ねてきた。

「8000年前にこんなワインを古代人が造ってたと思う?」 

 品質/価格(仕事量)は期待外れそのもの。それになにより、当時の人たちはもっと差し迫った状況に直面していたはず。つまり、葡萄から(ワインのような嗜好品ではなく)ペクメスなどの冬の保存食を確保するという、「生き残り」をかけた重大事だ。(呑気にワインなど造っていられるかい?)

「葡萄のシロップ(ペクメス)を沢山手に入れるには、人の手で葡萄の栽培を始める必要があったわけで、ワインはその後に登場した副産物。そして実際問題、グルジアで見つかった栽培葡萄の最古の痕跡は、今からたった3400年ほど前のものにすぎず、それ以前のものは見つかっていない。つまりは、例の密封性の悪いカメ壺であの有名な葡萄由来の残留物が検出されたのなら、それは(ワインではなく)ペクメスが残した痕跡の確率の方が高いことになるわけ。そういう見方の方がよほど論理的さ。」(それなのに奴らは勝手にワインに奉っているわけ。)

お爺ちゃまの前ではグルジアも型無し、束の間の夢で自滅?!

 歴史再構築講座はまだ続く。 次にお爺ちゃまは透明な液体が入った別のグラスを取り出し、「飲んでみて。」      うん?酸っぱい。これ、お酢だよね。苦手だな。

「うん、確かに今は酢だよ。でも10日前はとても美味しい飲み物だった。ワインとは違う、まぁ、いずれにせよ葡萄ではない。葡萄畑の周りにあるセルテ

ィス(エノキ)の木の実で造ったものさ。果実を集めてね、水に漬けておくだけ。すると4日目に発酵が始まり、美味しくなり、その10日後、酢になった。 きっと、古代人はこうやって最初のアルコール飲料を手にした、と思う。」

 お爺ちゃまの話は証明不可能だけど、胡乱ではなく、とても説得力がある。

世界で最も新しい自然派ワインの造り手 Gelveri

 我らのお爺ちゃまウド・ヒルシュはこんな方です。トルコに受け入れられたドイツのスーパーマン、研究者としての感性がとても鋭い生え抜き。他のどの生産者、特にワインのことしか話せない盲信者とは比べものに

ならない、ユニークで特異な存在です。そもそも、65歳にして初めてワインを造りを始めたなんて、それだけで凄い(もう一人いるけど、こちらはまだペイペイ)!おまけに、その前にウドが他所で得た生態学の知識が半端じゃなく、素敵です。

 1942年ドイツのボーン(アデナウ)生まれ。元々建築学を専攻していたが、結局好きになれずに報道/写真に転向。後に自然保護の分野に進み、動物たちの特有な行動について研究を始める。そして60年代、トルコ全土をフォルクスワーゲンのバスで旅する写真家として知られていたウドは、ユーフラテス川で1945年に確認されて以来、姿を消し絶滅かと思われていた実物の「ハゲトキ」の撮影に成功。その偉業をイスタンブールの新聞にテキストと共に発表し、後に国際機関からスイスでの会議に招待され、その経験談を語ることになる。

 絶滅危惧種のハゲト発見の功績により、ウドはこの鳥の保護計画のための3年分の資金を国際機関から得る。が、トルコ領土内で禁止されているクルド語を(知らず知らずの内に)話した(口にした)と言う理由で、なんと国外退去処分に。再入国までに2年を要することになるが、その時以来、ウドは世界自然保護基金の仕事を受け、ペルー、ボリビア、チリ、エクアドル、ガラパゴス、マダガスカル、南アフリカ北部など様々な国へ派遣される。 そして、その最終赴任地がコーカサス地方だった。グルジアの首都トビリシに事務所を構え、グルジアのみならず、アルメニアやアゼルバイジャンでの援助事業に携わる傍ら出逢ったのが、クヴェヴリ・グヴィノだった。

「K」、kvevri ghvinoからküp şarapへ

 この「幸せ遭遇」はウドにとって特別なものだった。クヴェヴリ・グヴィノ界に多くの知人ができ、中でも故ソリコ・ツァイシュヴィリの大親友となる。二人は、米国性根に歪められ

「qvevri」 と記され始めた 「kvevri」 の真の伝統文化維持のために、文字通り「k」を「q」から守る文化的闘争の精力的な同志として奮闘した。しかし、18年間のトビリシ赴任中、一般グルジア人の忠誠心欠如で不信感を抱き嫌気がさし始めたウドは、最終的にグルジアを離れ、元々地域観光開発を視野にトルコの友人と

共に購入した古いギリシャ建築の住居があるトルコのグゼルユルトに定住する。最もその友人は手を引き、最終的にはウド一人でその家を改修(それが現在

のGelveri)。ただウドは、その土地でも「同じこと」が行われていることを、当初知らずにいた。個人単位でのクップ(トルコのカメ壺)によるワイン醸造だ。表向きにはイスラム国家、だから目に触れにくい。が、トルコには多くの種族が存在、例えばイスラム界でちょっと異色な飲酒を許可されたアレヴィ(Alevî)のような部族もおり、その人口総数は合計1800万人に上る。本の出版を機に考古学的にカッパドキアの研究を始めたウドは、すぐにトルコでの葡萄活用に関する深い伝統に気付くことになる。

ヨーロッパ側的視点に立てば、トルコはワインではなく葡萄王国だ。総生産量のわずか5% (公式の数値だが、個人の隠された部分を含めればおそらく30%位に上昇するのではないか‥) のみが、ワイン醸造を目的とさ

れている。一方ドイツなど欧州諸国では、葡萄の潜在能力が忘れさられ、人は葡萄と聞くとワインしか思い起こせなくなり、実際にドイツでの総生産量のうちわずか3%の葡萄だけが、ワイン以外の用途に使われている。他国でも状況は似たり寄ったりで、醸造用途以外はほぼ皆無と言える。この状況は逸脱している言えないだろうか?

ウズム、ウズム、ウズム(葡萄、葡萄、葡萄)

 「井戸の中の蛙、大海を知らず」、523品種で自惚れたグルジア、でも真実は「雉も鳴かずば撃たれまい」。トルコでは少し前の記録で1435、今ではおそらく1500近くの葡萄品種が確認されているはず。そのトルコで、忘れ去られ絶滅しかけた古品種や無名の(新)品種等の蒐集研究家としてウドは知られ、その分野での中心人物だ。常に「新たな」ワインへの

挑戦で「未知」の葡萄品種を求めている。2014年、初めてウドとトルコ人妻ハチャール・オズカヤと出逢った時、私はウドが様々な種類の骨董アンフォラの偉大な収集家で、それを修理し使う愛好家であり、また経験豊富な考古学者だと思っていた。今日もそれに変わりはないが、ただ今まで以上にウドは、葡萄の探求とそれに秘められた潜在能力の開拓、また真の自然派ワインに関する概念の強化に関心を抱いているように感じる。それが彼の性か。ウドは希望を産み出したり産まれ替わらせるが好きなのだ。当然、それこそが彼の本来の使命なのだろう。

 カレチク・カラシ(Kalecik Karasi)、ケッテン・ゴムレック(Keten Gömlek)、ハッサン・デデ(Hasan Dede)、キジル・ウズム(Kizil Üzüm)、タス・ウズム(Tas Üzüm)、イトゥ・ウズム(It Üzüm)、

コク・ウズム(Koku Üzüm)、マヨリュ・テレビンス(Mayoglu Terebinth)、それに新品種のマルカズ(Markaz)とWAW、これらが現在ウドが造るワイン。全てトルコ語でクップと呼ばれるカメ壺で醸造されている。これらのカメ壺は、中央アナトリア、東部或いは東南部アナトリア地方(注釈:ウズム=葡萄)、地中海地方(南部)エーゲ海地方(南西部)そしてマルマラ地方(ヨーロッパ側)とトルコ各地から集めてきたもの。ローマ時代のものあり、ビザンティンやオットマン時代のものあり、アルメニアやマルセイユのもの等々、古いものは2000年(?)級から新しいものは150年まで、あまりにも多岐に渡る収集で、これ以上の話は御法度。さもなくばカメ壺だけで話が終わってしまう。

それではカメ壺に代わりに、葡萄の品種を見てみると‥。

カレチク・カラシはトルコで最も有名な赤ワイン。ウドはこれを、三方を壁で囲まれ天井付きの一画に全体の3分の1ほどが

埋められた2000リットルのビザンチン時代(西暦400年~1200年)のカメ壺で醸している。

「人は、ワインを安定した状態に保つ必要があるとよく言うが、この蔵で何が起こるかと言うと、冬場は気温が氷点下20℃まで下がるのでワインもそれにつれて冷えるが、ただ8℃以下にはならない。アルコール度が高すぎて、ワイン自体がそれ以上冷えこまなくなるんだ。面白いだろう。」

知ってた? 私は知らなかった、そんなこと。

「逆に夏場は気温が35℃、時には40℃まで上がり、太陽がクップの一部に当たる。すると、その部分のワインが温まり上昇し始め、逆に反対側の日陰の部分は温度が低いままなので下降し出す。これでワインが自然に回転し始める。ただしとてもゆっくりとね。これって最高の対流運動で、とってもいい。」

 ほぼ全てのヨーロッパ人にとっての常識はここでは非常識、その逆もまた然り。

「このクップは発酵がとても強烈で、時には激しすぎ、かき混ぜるのに時には2~3人で行わ

なければならず、また発酵中に温度が54℃ まで上昇したこともあった。でも問題無し。後に、凄く良いワインなったよ。」

正にビックリだ!

 Gelveri のもう 1 つの赤ワインはイトゥ・ウズム。 トルコ語で「it」は「犬」を意味し、要は「犬葡萄」だ。

「この品種は干し葡萄にも非常に適しているけど、欠点があってね。実は、熟すのがとても遅くて、まぁ12月の初めにならないと完熟しない。でも、そんな時期に畑に行く奴なんて誰もいないさ。だって、収穫はすでに1か月以上前に終わっているのだよ。その頃そこへ行くのは犬だけさ。そしてその犬が葡萄を食べる。 だからイトゥ・ウズムと呼ばれているわけだ。」

 この葡萄の潜在能力については、明らかにカレチク・カラシほどの気品や品格はない。が、とても飲みやすく興味深いもの。毎日飲みたくなるようなワインだ。

「この品種はここらの3~4の村でしか見られないもので、皆んなもそう言っているし、私も他所で見たことはない。正式名もなく、皆んなが犬葡萄 – コペック・ウズム(Köpek Üzüm)と呼んでいる。これでいつかアイス・ワインを試したいね。」

オレンジ、オレンジ、オレンジ

 冗談みたい? キジル・ウズムの「kizil」は「赤みを帯びた」を意味する。当然果皮は赤みを帯びているが、でも不思議なことに色が抽出されず、ワインは「白」!しかも、ウドの2021年は適量のスキン・コンタクトが施されておりオレンジ色、その上、メチャ旨い!オレンジ・ワイン愛好家を魅了するのに必要な全てを兼ね備えている。 きめ細かく風味豊かで、十分力強く均衡のとれたワインだ。一口口にし、

「グルジア人が飲んだらなんて言うかな、ハハハハハ!」

と、ウドが高笑い。確かに!確かに!確かにその通り!ウドがそう言うわけがよく分かる。「やぁやぁ」、旨いワインを手にグルジアのマラニ(蔵)上空をひとっ飛び、遠く天空界から「こんにちわ!」。いやぁ~、素晴らしい!

 ついでに、 Gelveri では白葡萄を、茎の有無を問わず、また長短期に関わらず、全てスキンコンタクトされているのを追記しておこう。

「Gelveriの代表的なワインの一つハッサン・デデ、この2021年に関しては、茎入りスキン・コンタクトと茎無しスキン・コンタクトの二種類がある。後者は既に出来上がっているが、前者はまだ。茎を使っての醸造はとても興味深いものだ。」

 ウドは、畑で葡萄の味見をすれば、どれだけの茎を入れるか見当がつくと言う。

「葡萄をゆっくりゆっくり噛むんだよ。時には茎も一緒にね。すると、香りではない別の味がしだす。その味が、口内の数カ所の機能的な部位に触れて、異なる感触をくれるんだ。」

 全て葡萄に関する情報で、ウドはそこから、葡萄の欠如部分を補う改善策を、例えばもう少しタンニンが必要だとか、引き出すわけだ。そうやって葡萄に関する全ての情報を得た後、初めて糖度を測るという。

「茎は使う前に、2、3日天日干しにすることがある。分かる? そうすると苦味が消えるんだよ。」

 個人的にはそんなの見たことも聞いたこともない。が、今思えば、何故グルジアの造り手で葡萄の粒よりも茎の熟成度に気をかけている人がいたのか、よく分かる。ウドはやはり、賢い!

 次に別の白ワイン、タシュ・ウズム。「タシュ」は「石」を意味し、「粒がぎゅうぎゅうに詰まり石のように固い葡萄」を意味する。ウドによると、この葡萄は最も醸造の容易な品種であり、毎年の天候に左右されずに、毎年ほぼ同じ結果が得られ、同じようなワインになるという。それとは正反対に醸造が難しい葡萄がコク・ウズム。成功か失敗かは五分五分(ただしうまくいけば大

成功!)。もっともウドにとっては重要なことではなく、問題なし。まぁ、ウドの笑顔か、それともウドの泣顔か、どちらが見られる?その程度のこと。あくまで挑戦する喜びだ。

Gelveriの精神的象徴、ケッテン・ゴムレック

 ウド曰く、

「間違いなく、ケッテン・ゴムレックはこの地域で最高の白葡萄品種だね。ギュゼルユルト周辺には、おそらく20ヘクタールの畑にケッテン・ゴムレック

が植えられているけど、各畑での同品種の植樹率は50%以下。 トルコでは各畑に常に、6~8の異なる品種が無秩序に植えられているので、正確な数を捉えることは難しい。うちではケッテン・ゴムレックを他のワイン同様にスキン・コンタクトで醸しているが、特別なワインにも使っている。 非常に特別で、ちょっとこの家の象徴のような、歴史の想い出となるワイン、マヨリュだよ。」

 実はその名、ウドの家の元の所有者(ギリシャ人)の名前だ。 100年前、1923年のローザンヌ条約によりギリシャへの移住を余儀なくされる前、マヨリュ家の人たちがここでワイン造っていた歴史がある。ウドはその子孫たちと出逢った機会に、彼らの祖先が何をしていたかを知ることに。彼らのワインはイスタンブールでとても名の馳せたもので、そのお陰でとても儲かり、それでギュゼルユルトの子供たちのための学校建設資金を提供、また毎年、子どもたちの靴や教科書代を払っていたという。

「それを聞いた時、彼らに頼んだんだ。そのワインの作り方を教えて、と。あなた方のご祖先と同じことをしたいから、と。それで2年後、次のような作り

方を手に入れたわけ。『白ワインを造り、ピスタチオを加えて2年待つ』。これが我々の マヨリュ・テレビンス。そして我々は、このワインから得られる収入で、今6人の貧乏学生を経済的に支援しているんだ。」

 誰か他に、ワイン業界でそんなことをする人がいるか?

目指すは超考古派?

「ある時、『非常に古い葡萄』と注釈入りの写真を観たんだ。 それは大きな木、つまり葡萄の支え木用の木だが、それに支えられた古い葡萄の樹の写真だった。ところが誰も、それが何の木なのか知らなかった。私はそ

れが知りたくてね、持ち主を探し出し連絡しようと思ったが、結局3年かかったよ。そしてようやく、その苗木を手に入れた。持ち主は素朴なご老人でね、2年前に取り木をしたそうだ。それでもう木に登らなくてすむ、と言っていた。ただ、彼が木に登って収穫を続けていた最後の人物だとは、止める前に誰も教えてくれなかったそうだ。そしてあなたなら良いかもしれないと、苗木を送ってくれた。それを今年の春に植えた。2年後にどうなるか、見ものだ。」

 どうやらウドは本気で古道を歩み出したようだ。既に8年前(2014年4月)、初めて彼らを訪れた時に連れていかれたハッサン山近郊、標高1500メートルのフィロキセラ未到の

砂地で、本幹が地中に埋まり見えない、樹齢200年とも300年、いや400年(或いは500年?)とも言われる葡萄畑を目の前に、

「ここでは冬場、ー25°Cにもなる寒さから葡萄を守るために土で覆い隠す。そして春に、新たな余分な根を干し枯らすためにその覆いを取り外す「ゴス アチュマック(Gös açmak)」と呼ばれる作業が行われる。その名の意味は眼を開くだよ。」

と、教えられた時、その言葉がなんと私たち向けだと思ったことか‥。うん、お爺ちゃん、凄い!

「トルコ人の葡萄を良く知る男に一度、手に入れたばかりの葡萄畑の剪定を頼んだことがあるが、驚いたよ。剪定の後、何にも見えない!畑は完全に平坦、葡萄の樹が一本も見えない。あ

んた、全部伐採してしまったのか、と問い詰めると、彼曰く『見てなよ』。そしたら後で本当に葡萄の芽が吹きだした。ここの古株の生命力は本当に凄いものだ。あたかも全て別株のように4~6本の枝をつけて、30~40kgの葡萄がなるんだよ。信じられんだろう。おまけに、2、3個の区画を除いては、散布など一切しない。全くの自然さ。」

我が道を自由に!

「トルコ人の重要人物が私に、トルコに住んでいるのだからトルコが好きなんだろう?と、尋ねてきたんだ。私は、ええ、と答えたよ。何故なら、私が望むことを好きなように考えられる唯一の国ですからね、と。するとその人物は、私が何を言いたいのか尋ねてきたので、言ってやった。 自由に考えることができなくなったら、どこか他所に行きます、と。」

「あなた方は、あなた方の思うように考え、あなた方が言いたいことを言える、唯一の人物なのですよ。誰も答えてくれなくたって、あなた方はこの世で最もばかげたことを言うことさえできる。それが自由であり、それが私のワイン造りの方法。私にはやりたいだけやる自由があるからね。」

「今年、私は80歳になる。 4

0、50の頃は、色々なことを試し学ぶためにキョロキョロ左右を見ていたけど、今では、完全に真っ直ぐな道が目の前にあると思える境地に至っている。長いか短いかは関係ない。自らの人生を通し引き出した、自分の一部として受け入れる経験の結果さ。同時に我慢強くなったね。あなたが誰か他の人と一緒にいたいのなら、重要なことだね。とても重要さ。私の優先事項として、私はハチャールと一緒いるんだ。」


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